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意味がなければスイングはない

ステレオサウンド誌で村上春樹さんの文章を読めると知ったときはうれしかった。2003年の春から2年と少し、10回の連載の間、ステレオサウンド誌を買うと、いつも村上さんの文章を最初に読んだものです。オーディオ誌への連載ですけれど、やはりというか、オーディオについての文章ではなくて、音楽に焦点をあてて書かれたものです。

その文章が、「意味がなければスイングはない」というタイトルの本になっています。雑誌には長すぎて載せられなかった部分も含めたフルバージョンとのこと。そのせいか、今回の方が言いたいことがよくわかる印象があります。

村上さんは、小説には大きく言って「物語を展開して、外側に開いていく傾向を持つ作品」と、「文体を展開して、内側に向かっていく傾向を持つ作品」があると言っています。これは「スプートニクの恋人」を説明するときに「後者だ」ということで使用された表現ですが、「意味がなければスイングはない」は、小説ではないですけど、後者の手法でアーティストを語ったものだと思いました。村上文体を展開してアーティストを分析した文章だと。

ここにはレコードで音楽を聴くということについて、とても共感できることが、素晴らしい文章で表現されています。僕はもともと村上さんの大ファンですから、まああまり信用しないでいただいた方がよろしいので、ちょっと長いですけど一部引用します。

どうでしょう?

うん、こういうことなんだよなと、僕は思うのですけれども。

 

『シューベルト「ピアノ・ソナタ第十七番ニ長調」D850  ソフトな混沌の今日性』から

 

思うのだけれど、クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないだろうか。それは場合によっては、世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくはずだ。そしてシューベルトのニ短調ソナタは、僕にとってそのような「大事な引き出し」であり、僕はその音楽を通して、長い歳月のあいだに、ユージン・イストミンやヴァルター・クリーンや、クリフォード・カーザオン、そしてアンスネスといったピアニストたち――こう言ってはなんだけど、決して超一流のピアニストというわけではない――がそれぞれに紡ぎだす優れた音楽世界に巡り会ってくることができた。当たり前のことだけれど、それはほかの誰の体験でもない。僕の体験なのだ。
そしてそのような個人的体験は、それなりに貴重な温かい記憶となって、僕の心の中に残っている。あなたの心の中にも、それに類したものは少なからずあるはずだ。僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上におけるわれわれの人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。

 

『日曜日の朝のフランシス・プーランク』から


僕は思うのだが、昔ながらのLPでひとしきり聴きたいところまで聴いて、そこで針をあげてしばし余韻を味わって……というのが、プーランクのピアノ曲や歌曲のもっとも正しい聴き方なのではないだろうか? もちろんやろうと思えば、CDでだってそういう聴き方はできるわけだけれど、アナログ的な手仕事が、彼の音楽には情緒としてよく似合っているように僕は感じる。更に言えばSPの方が、雰囲気的によりぴったりくるかもしれない。しかしそこまで言い出すときりがなくなってくるので、とりあえずはLPあたりで我慢しておこう。気持ちの良い日曜日の朝に、大きな真空管アンプ――なんていうものをあなたがたまたまお持ちであればということだが――があたたまるのを待ち(そのあいだに湯を沸かしてコーヒーでも作り)、それからおもむろにターンテーブルにプーランクのピアノ曲や歌曲のLPを載せる。こういうのはやはり、人生にとってのひとつの至福と言うべきだろう。それはたしかに局所的な、偏向した至福かもしれない。ごく一部でしか通用しないものごとのあり方なのかもしれない。しかしそれは、たとえほんのささやかなものであれ、世界のどこかに必ずなくてはならない種類の至福であるはずだと、僕は考える

 

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コメント

この村上春樹の連載は僕も大好きでした。特にプーランクについて書いた文章の中で、パリの朝の教会コンサートのくだりを読んだ時は、無性にプーランクの音楽が聴きたくなりました。

あと、スガシカオの章を読んだ時は、買っちゃいましたよ、彼のCD。(^^)

投稿: ゴーヤ | 2006年1月13日 (金) 18時23分

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