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人の死。残された者。

先日、父が他界しました。

未明に具合が悪くなり入院し、夕方静かに息を引き取りました。
享年89才。大往生でした。

父が生まれたのは1916年、ロシア革命の前年です。

なんとまだ帝政ロシアの時代ですよ。

その生涯に、

ソビエト社会主義共和国連邦の歴史がすっぽり入ってお釣りがくる

わけです。

(いや、ソ連に行ったことはないんですけどね、たぶん。戦争のときは南方だったらしいし)

このように長生きしていただくと、
お世話申し上げるのはそれなりにたいへんではありましたが、
亡くなるときに、

残された家族に精神的な打撃を与えない

というお返しをしてくれるのですね。

ありがたいことです。これを昔の人は大往生と言ったのでしょう。

僕は今43才で、周りの人は父親がそんなトシだとは思っていないので、
わりと早めに普通な顔して出社しているのを驚いてくれました。
なかには、言葉に詰まって唇を震わせる方までいて、そうなるとこちらが申し訳ない。
みんないい人達です。

 

うらはらに、一緒に仕事をした方に若くして亡くなられるのはとてもつらいです。

僕らの業界ではどこでも、
「3次オンラインプロジェクト」というのがかつての代表的な大事業なんですけど、
このときにお世話になったリーダーのG氏は、
結婚はされていましたが子供がいないこともありわりと自由な生活をされていて、
よく遊んでいただきました。

僕はこの方の、頭が良くて、ひょうひょうとしていて、
いざとなると肝の据わったところがとても好きでした。

 

G氏は数年前に会社を定年退職されて、それから2年も経たないうちに病気で亡くなられました。

3次オンラインプロジェクトで一緒だった別の方の送別会を準備していた僕は、G氏の同期の方に、

「Gさんもお呼びしたいのですが、メールアドレス知ってらっしゃいますか?」

と聞いたのですが、

「Gさんは来られません」

とのお返事。

体の調子がよくないとは聞いていましたが詳しいことは知らなかった僕は、
それでようやく事態を把握しかけたのですけれど、
訃報が届いたのは早くもその二日後でした。

 

ショックでした。

なにもできなかった自分を責めてしまうのですね。
知ってたからって、何かができたわけではきっとないのですけど。

 

G氏の葬儀の日、少し若い頃の写真が飾られた祭壇の前で、僕はこわばった心が少しやわらぐのを感じていました。「お。あの写真のメガネは、僕のまねして買ったやつだ」なんてことまで考えていました。不思議なことですが、これが葬儀の意味なのでしょう。葬儀というのは、残された者の心のために行われるものなのだと知りました。

でも、それで済むわけではありません。一周忌に箱崎で行われた「偲ぶ会」でも、僕はその場にいられず、箱崎ですからたくさんある待合室のようなところに避難して、ずっと泣いていました。(情けない……)

今だってぜんぜん納得していないようです。困ったものです。

だから、皆さんもなるべく長生きしてくださいね。

 

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コメント

そうでしたか… 故人のご冥福をお祈りいたします。思えば、父が64歳の誕生日の前日に他界した夜、遺言に従い、モーツァルトのレクイエムをリピートで鳴らし続けましたっけ… 父の存在というものは、やはり大きいですよね。父でありながら、父として、なにもしてやれない自分のことを、ふと考えたりします…

投稿: aporia | 2005年11月20日 (日) 00時39分

aporiaさん、ありがとうございます。
64歳ですか。お若いですね。お辛かったことと思います。

自分の葬儀のときはバーバーのアダージョ、
それも本来の弦楽四重奏版をかけてもらって、
参列の方たちを泣かせようと目論んでおります。(笑)
いや、笑ってるテーマじゃないか。

投稿: 任三郎 | 2005年11月20日 (日) 21時12分

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