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VIOLA SPILITO

このお部屋の写真は、あちこちのサイトに出ているのでご存じですね。

そう、カゲトラさんのお部屋です。

スピーカーはJBL S9800、パワーアンプはVIOLAのBRAVO。

KAGETORA0509

 

で、こちらが最近導入されたプリアンプ VIOLA SPILITO。

奥行きが50cm以上あって、電源部が独立しているという、大型パワ-アンプのようなプリアンプです。

SPIRITO

 

 

僕はこの前日に用事があって小田急線の経堂に行ってきました。駅前は意外とこじんまりしていましたが、通りを一本入ったところに中古レコード屋さんを発見。さすが都会だ、などと思いながら箱に入ったレコードを物色していると、とってもファンキーな格好をした店主のおじさんが、客のおにいさんに古いCDを紹介しているのが耳に入りました。

 

「これこれ。凄いんだよこのCD。ほら、若い頃のロバート・パーマーが参加してるんだよ。知ってる?ロバート・パーマー?」

「えーと、知りません」

「あ、そう。それでさ、この曲。ほら」

(と言って曲をかける)

「ほら。やばいぜコレ

「……」

「次これね」

(と言って曲をとばす)

「ほらほら。うわー。やばいよコレやばい

「………」

「これもさ」

(曲とばす)

「これ、オレはレコードで持ってるんだけどさ。もうこのレコード高くて手出ないよ。CDもなかなか見かけないんだよね。ほらほら。すげー。 やばいコレコレやばいよ

「…………また来ます」

 

客のおにいさんは好みが合わなかったようですが、たしかにいい演奏でした。黒っぽくて。

 

 

さて、カゲトラさんのところできくマドンナは以前から最高なのですが、今回きかせていただいたのはそれをさらに上回る出来で、一緒に行ったcruel氏と僕は、

やばいよコレ

と、ファンキー店主さんと化すしかありませんでした。

それだけではありません。

シャネット・リンドストレムのFeathers、ピアノだけをバックにしたあの繊細な歌声が、

やばいよコレやばい

……思わず震えるほどの冷たい静謐感。

 

 

まだ導入直後ですから、JBLとVIOLAが個性を主張しあってるようなところもありますが、現時点でも既にただごとではない状況。カゲトラさんのことですから、いずれ両者を仲良くさせてしまうことでしょう。そのときの音はいったいどんなことになっちゃうんだろう。

 

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幸せな休日

昨日は3連休の中日。

家から一歩も出ずに、そういえばゲージツ家の篠原克之さんはそういう日を「土踏まずの日」と言ったらしいが、土踏まずで音楽をきいて、本を読んで、コーヒーを飲んで、料理をして過ごした。

最高に幸せでした。(笑)

本は、普段なかなか読めないものを3冊。村上春樹「東京奇譚集」、林真理子「アッコちゃんの時代」、アントニオ猪木「あなたの体も危ない」。

この数年、仕事か音楽・オーディオ関係の本ばかり読んでいるので、小説は久しぶり。本当は小説が大好きなので、この2冊を読んでいる時間はもう至福のときでした。

村上さんは前作「アフターダーク」が大きなシリーズものの予告編という感じでしたが、今回はそれとは別系統の短編集。

林真理子さんは初めて読むかも知れない。「アッコちゃん」はバブル期に話題になった実在の人物。僕は1984年に会社に入ったので、一応社会人としてバブル期を過ごしていますが、全くバブリーでは無かったこともあり(笑)、アッコちゃんという人のことも全然知りませんでした。この本を読んで、バブルというのはそういう時代だったのか、と思ったくらい。この作品を読む限り、著者が男性と女性の役割を分けて考えている様子なのは興味深い。

tokyokkitan

「あなたの体も危ない」はMzさんのお友達が共著とのことで読んでみましたが、すごく勉強になりました。

僕の会社の先輩が糖尿病で、夜中に一緒にお酒を飲みながらインシュリンを打ち、「打つと低血糖になっちゃうから」とチョコレートを食べているのを見て不思議に思っていました。もう10年以上前のことですけど。この本を読むと、そういうのはやっぱりヘンであることがよくわかります。先輩はその後治療法を変えられたのか、今は飲んでもチョコは食べません。先輩が今でも元気に仕事をされているのが、僕はとてもうれしい。

pasta_natuyasai

夕食は「夏野菜のパスタ」。

もう空気はすっかり秋になってきたので、今年最後と思って作りました。野菜だけで旨みが十分に出るのが面白いところです。

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ライオンのぬいぐるみ

ライオンではなく犬のぬいぐるみ、というのはこれ。

sugano2

菅野先生にきかせていただいたCD、SACDがamazonや@tower.jpから届いた。

(菅野先生の音とは)なんでこんなに違うんだ……と思いつつ、でもどれも演奏、録音ともに素晴らしく、楽しくきき惚れております。

15年前に長岡鉄男先生の音をきかせていただいたときは、「何か大事なものを捨てない限り、僕にはこのレベルにたどり着くことはできない」と思い、オーディオから何年も距離を置くことになった。

菅野先生の音も衝撃的だったけど、今回は前向きに受け止めることができているのは、僕も少しは大人になったということだろうか。

sugano1

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菅野沖彦先生の音

晴天に恵まれた914日、ふたたび集うこととなったわれら3人の戦士。今日の舞台は中央線O駅である。

 

「Mzさん、ありがとね」

「いえいえ、私はただ、メールをしただけですから」

「なんだそうか」

「いや、感謝はしてくれていいです」

 

今回ばかりは緊張のあまり、われらの会話にもキレがない。

今日は菅野沖彦先生のお宅に伺うのだ。

 

「とにかく失礼がないようにお願いしますね」

「はい、ばっちりです。今日のために新しいシャツ買っちゃいましたよ」

「僕は靴下もパンツもおニューだ」

「なんでですか」

 

O駅から少し歩いた閑静な住宅街に、先生のお宅はあった。

 

1階部分を駐車場にしたその上こそがあの部屋、今号のステレオサウンド誌(156号)では菅野先生がケン・ケスラー氏と談笑されているあの部屋、 ライオンのぬいぐるみが置かれているあの部屋である。(Mz注:あれは「犬」のぬいぐるみです)

 

部屋に入ると正面にはあのスピーカーたちが、手前にはあの機器たちが。

そしてあの椅子に座らせていただき、先生とお話しさせていただく。

今気が付いたけど、先生は187ページ(SS156号です)の写真のとおりに座っておられ、僕がケン・ケスラー氏の位置に座らせていただいたのだ。

 

そして、音をきかせていただく。

 

 

えー、ここで質問です。

皆さんは菅野先生の音というと、どんな音をイメージされておりますでしょうか?

 

<部屋の壁が消える>

はい。その通りです。消えました。

 

<オーケストラが原寸大>

その通りです。オーケストラが演奏している空間までが、原寸のように思えました。原寸を見た訳じゃないですけどね。

 

<ゴージャス>

そうじゃないとは言いませんが、それはソースに由来するものかと。

 

 

 

最初はオーケストラ。

 

「DDDにしてから、シベリウスがいいんだ」

 

先生のお言葉どおり、一瞬で空気の色が変わる。これは北欧の空気か。

 

 

次はチェロ。

 

「ウィスペルウェイの演奏は、意外と違和感がない」

 

チェロの音色の美しさに息をのむ。ピアニシモに鳥肌が立つ。

 

 

そしてソプラノとメゾ・ソプラノ。

 

歌手の体がそこにある。3次元の大きさを持った人間の体だ。布でできた服を着ていることが感じられる。声をきいているだけなのに。着ている服の動きまでがわかる。

 

 

さらにジャズをきかせていただく。

 

菅野先生録音のオーディオ・ラボ West 8th Street だ。

 

 

ウエスト・エイスですよ皆さん ウ・エ・ス・ト・エ・イ・ス

 

ご本人のお宅でですよ。

 

ふはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。

 

 

 

 

 

すみません。ちょっと崩壊しました。

 

 

 

 

最高に楽しい!

人にもよるけど、スタンダードを演奏するとき、たいていにおいてミュージシャンはそれはもう楽しそうに演奏するわけです。その楽しさがスピーカーからこんなに伝わってくるなんて!

 

そして、どのソースにも共通していたこと。

 

というより、最初の一音が響いた瞬間にわかったことがあります。

 

菅野先生の音は「自然」であると。

 

それはきき進むうちに、どこまでも自然で、果てしなく自然で、圧倒的に自然だという思いに至りました。

 

「レコード音楽の再生は忠実性を追求しつつ、美しさを追求することに意義があると考える」(新レコード演奏家論)

 

そうか。こういうことか。こういうことだったのか。

 

何度もそう思いながら、僕の中で何かが確信に変わるのを感じていました。

 

 

楽しくも貴重な時間はあっという間に過ぎ、先生のお宅を辞して駅に向かう我々を見た人は、その背中に夕日よりも真っ赤で大きな決意が燃えさかっているのに、驚いたことでしょう。

 

われら3人の戦鬼 第2章 完

 

 

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新レコード演奏家論

菅野沖彦先生の著作「新レコード演奏家論」について感想を述べよ、という指令を受けました。

 

とは言え、この本はレコード音楽に関する菅野先生の長年の、たぐいまれな経験を元に書かれているものですから、私なんかが軽々に感想を申しあげられるようなことではありません。

 

なので、「レコード演奏家」という考え方について、論議の構造を私なりに分かりやすく整理してみることにしました。

 

ただし、私の理解不足や表現力不足などによって、かえって分かりにくくなる場合があります。

どうかお許しを。(笑)

 

また、菅野先生が書かれていることを私が全く誤解していることもあるかも知れません。

というかきっとあるでしょう。お許しください。文責は全て私にあります。

 

 

********************************

「新レコード演奏家論」の「第12章 受け手と表現手の各ステージ」での分類に沿って、写真や絵画と対比しつつ、論点を整理してみます。(表1)

 

表1 【レコード音楽の各ステージ】

 

音楽、レコード音楽

写真

絵画

 

芸術性

芸術性

芸術性

第1ステージ

作曲

撮影

描く

第2ステージ

演奏

第3ステージ

録音

元の演奏の芸術性

(撮影)

(○)

(描く)

(○)

論点1

録音固有の芸術性

第4ステージ

再生

元の演奏の芸術性

論点2

録音固有の芸術性

論点3

再生固有の芸術性

第5ステージ

鑑賞

鑑賞

鑑賞

*芸術性:○は「一般に認知されている」の意。

 

第1ステージは自然現象を対象にして人間が表現行為を行うもので、「音楽(作曲)」「写真」「絵画」いずれも芸術性が一般に認められています。

 

写真の場合には「カメラ」という人工物が介在することもあり、初期には「単なる複製ではないか」という意見もありましたが、オリジナルとは別の固有の特質・独自性を持つことが認められ、芸術として認知されるようになっています。

 

 

第2ステージは「音楽」に固有のステージで、演奏がここに位置します。これも現在ではその芸術性が認められています。

しかし、最初からそうであった訳ではなく、表現手の自覚と行動によってその芸術性が認知されるようになったものです。

 

例えば、オーケストラの指揮について、野村あらえびす先生が著書「名曲決定盤」に次のように書いています。(以下カッコ内引用)

 

「オーケストラの指揮というものは、かなり古くから開拓されたものだが、しかし昔の指揮者は原作者の意図を生かすことを以て最上とし、従って楽譜通りに演奏すれば以て足れりとしたのであるけれども、時代と共に指揮法も次第に変化し、指揮者の意志が次第に多く加わって、指揮もまた創作的な意図を必須条件とする独立せる芸術になったのである。

………(略)

わけてもニキシュは、指揮は即ち一つの芸術であるという立派な建前で、しかもそれを実際に証拠立てたのであった。」

 

アルトゥール・ニキシュは1855年の生まれで、指揮者としての活動は1878年頃から1922年に没するまでですから、指揮というものの歴史からすれば、これはそれほど昔のことではないわけです。

 

 

第3ステージは、写真や絵画においては、人工物を対象にした場合があたると言えるかも知れません。

 

写真の場合には、第1ステージをクリアした段階で既にここでも芸術性を獲得していると言えるでしょう。

絵画の場合はもっと自然に理解されている反面、ポップアートの領域では論議を巻き起こしているのが面白いところです。アンディ・ウォーホルのキャンベルスープ缶などが有名ですが、現在ではこれも芸術として認められています。

 

「音楽、レコード音楽」における第3ステージは、録音という行為になります。

 

ここでひとつめの論点「録音制作に固有の芸術性は認められるか」が発生します。

「新レコード演奏家論」では「第14章 レコード制作家とは」でその仕事の内容が詳述されているとおり、その芸術性は写真と同様に認められるものと思います。

また、ここにスポットを当てて論議した場合、その芸術性の有無にあまり異論は出ないとも思えます。

 

むしろこの論点については、この仕事の実態について世間であまり知られていないということが課題なのかも知れません。曲、演奏を含め、できあがったレコード(CD)に芸術性が認められなければ、録音の芸術性は成立しません。世間にはたくさんのCDが出回っていますが、多くはまだ芸術と認知されない音楽であるため、それらについて録音制作の芸術性にまで認識がおよぶ余地がないということです。

 

 

第5ステージの単なる「鑑賞」が芸術ではないということは、全てに共通です。

 

 

戻って第4ステージは、再び「音楽、レコード音楽」に固有のステージです。ここが論議の中心です。

 

再生された音楽には、それがうまく再生されていれば、元の演奏の芸術性を認めることができます。

また、音の悪いラジオからきこえてきた音楽にとても感動した、というようなことを多くの人が体験していると思います。私もそうです。

これは再生環境がよくなくても、聴く側の心の状態によっては、元の演奏の芸術性は十分伝わる場合があるということだと思います。

 

自分の部屋に居ながらにして、元の演奏の芸術に触れることができるのは素晴らしいことです。

これだけでも十二分にありがたいことで、こんな凄いことが可能な時代に生まれたことに私は感謝しており、もうここで話を終わりたいくらいです。(笑)

 

現在では一般的にも、レコード音楽に元の演奏の芸術性は認められていると言ってよいかと思いますが、これも最初からそうだったわけではありません。レコード音楽を生演奏の代用品と捉える時代は、比較的長く続きました。

 

この原因の一つに、菅野先生は生の音もレコードの再生も、同じ本物の空気を媒介とするものであることを挙げられています。これが認識の混乱を招いたと。

 

そのとおりだと思います。混乱するのです。

私は高校のときにクラシック・ギターを演奏するクラブに入っていましたが、ある時クラブのメンバーが、会議録音用の小さなカセットデッキでナルシソ・イエペスの演奏を皆の参考に聴かせ、こう言ったのを覚えています。

 

「演奏はいいけど、イエペスってひどい音だよね。○○くん(私)の方が全然いい音だ」

 

冗談だと思って、言った本人の顔を見ましたが、彼は真顔でした。

イエペスに、申し訳がない。

 

高校生の言うことですからまあ仕方ないと言えば仕方ないのですが、これでは演奏家が録音再生を毛嫌いするようなことがあってもやむを得ないと思われます。

 

さて、しかしながらこの、生の音もレコードの再生も同じ本物の空気を媒介とすることが、この後の論議に重要な役割を果たします。

 

再生された音楽に、元の演奏の芸術性を認めることができても、それだけであれば、その芸術性は元の演奏のものであって、コピーである再生音楽のものではありません。

 

そこで論点2が出てきます。

録音固有の芸術性があり、それが再生によって表現されるのであれば、レコード音楽は生演奏から独立した価値を持った芸術であることになります。

 

そして論点3。録音固有の芸術性にとどまらず、再生に固有の芸術性があることをもって、「レコード演奏家」が成立します。

 

 

********************************

レコード演奏家に関する論議の構造、論点の位置は、だいたい以上のようなものと思います。

「新レコード演奏家論」では様々な形で論拠が提出され、証拠が積み上げられていきます。

またこの著作は、レコード音楽全般を扱ったものであり、上記以外にも様々な見識が述べられています。ぜひ読んでみてください。

(書いているうちに「お勧め本の紹介」のような気分になってきました)

 

 

さて、音楽というものは、人類の誕生以来継続的に、直線的に成長を続けてきたのでしょうか。

そんなことはありません。

 

あるジャンルが永遠に進化し続けるということは、ないと思います。成長が止まったジャンルが元通りもてはやされることもありません。全盛期の作品が後世に残ることはあっても。

 

音楽も未来永劫成長し続けるというわけにはいきません。

例えば「詩」がそうであったように、成長がスローダウンしたり、成長が無くなることは十分にあり得る話です。

 

かつては「作曲」が音楽の「芸術」と言える分野でした。しかし「作曲」が成長し続けるにも限界があり、それと入れ替わるように「演奏」が芸術として認められ、主役になった。

 

やがて「演奏」の成長が限界を迎え、その「再生」が主役になることがあるかも知れません。

 

逆に、演奏が限界を迎え、再生がそこを埋めることができなければ、音楽自体が衰退することになるかも知れません。

 

もちろん、音楽の成長を止めないことがベストです。そうあって欲しい。

しかし現代の作曲が後世に残る芸術だろうか、少なくとも演奏込みでの話ではないかと考えると、再生の責任もまた重いと思うのです。

 

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ポルチーニきのこのスパゲティ

今日の夕飯。

イタリアに遊びに行った友人がおみやげにくれたパルミジャーノ・レッジャーノとポルチーニきのこを使ってパスタを作りました。

とてもおいしかったです。おみやげありがとう!

最近買ったOXOのチーズおろしも使いやすくてよろしい。これはamazonで手に入ります。

ParmigianoReggiano pasta_porcini

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